HOME > リサーチ部 > 世田谷ボランティアセンターの高橋 祐孝さんに聞く②~世田谷さいがいボランティアセンターができたきっかけとめざす役割~

リサーチ部

第82回  世田谷ボランティアセンターの高橋 祐孝さんに聞く②~世田谷さいがいボランティアセンターができたきっかけとめざす役割~

 社会福祉法人世田谷ボランティア協会の高橋 祐孝さんからお話を伺いました。内容は世田谷ボランティアセンターに常設されている「世田谷さいがいボランティアセンター」ができたきっかけとめざす役割についてです。聞き手は「まるちゃん」こと丸岡 美貴とIVUSA事務局員の伊藤 章です。

 

 せたがや災害ボランティアセンターを作ることになったのは、阪神淡路大震災がきっかけです。発生した1995年は、日本における「ボランティア元年」とも言われます。たくさんの人たち、とくに大学生がどんどん神戸にボランティアに向かいました。交通機関がない中、大阪から歩いて向かっていましたよね。
 現地では、世田谷区のように民間で組織を作っている大阪ボランティア協会を拠点にして「民間のボランティア推進機関が支援をしていこう」という動きを始めました。「広域の民間組織が連携して、被災地の支援をしよう」というのは、まったく初めてのケースだったので、混乱がありました。その混乱を土台に、災害ボランティアセンターは年々進化しています。

 

 阪神淡路大震災後も、何年かに一度、各地で大きな災害が発生しています。「これほど大きな災害が世田谷区に来たら」と考えるだけでも恐ろしいですけど、全国から駆け付けて支援をしてくれるボランティアの受け入れになる窓口がないと、また混乱を招きます。通常、災害ボランティアセンターというのは、緊急災害が発生した後、主に外から入ってきたボランティアコーディネーターが、現地の人と協力して立ち上げます。

 

インタビューに答えてくださる高橋さん(世田谷ボランティアセンターの和室で)
インタビューに答えてくださる高橋さん(世田谷ボランティアセンターの和室で)

 さて、世田谷区の場合はどうかというと、多摩川を超えたら、隣は神奈川県川崎市、その隣は横浜市です。東側にはすぐ海があり、危険地帯です。そうした所を超えて、果たしてボランティアが力こぶを作りながら来てくれるでしょうか。物理的に厳しいですよね。
 災害発生後数日から1週間は、自分たちでなんとかするしかない。そのためには、日常のボランティアセンターだけではとてもやりきれないですよね。「災害ボランティアセンターの常設が必要では」「常に活動して、地域の人たちに知ってもらい、自分たちで災害時に動く流れを作っていく組織が必要なのではないか」と検討を始めました。こうして、2005年の3月にせたがや災害ボランティアセンターはスタートしました。

 

 その前年、2004年の10月に新潟県中越地震がありました。この震災は、せたがや災害ボランティアセンターにとって、実地訓練になりました。「自分たちだからできる支援はなんだろう?」というのを考えました。世田谷区は人口が多く、様々な施設があり、そこで働く職員はたくさんいます。介護などを専門職にしている人もたくさんいます。このリソースを活かせないかと考えました。
 新潟県山古志村の人の多くは高校の体育館などに避難していました。災害時要援護者は必ずいるのです。しかし、どこにいるのかわかりませんでした。僕は、震災発生後4日目、長岡市に設置されている災害ボランティアセンターに入る形で現地に入りました。地元と外から入ってくるボランティアを必要な場所に配置する仕事をしました。
 その際に「山古志村のじいちゃんばあちゃんはどこにいるかな?」と並行して現地の情報収集も行いました。発災から1週間後「お年寄りとともに、そのヘルパーさんたちも避難してきている」ことがわかったのです。震災前は日中だけの仕事がフルタイムになっていて、みなさん疲弊していました。「ヘルパーをサポートしないと、じいちゃんばあちゃんが倒れる」と思いました。「世田谷から夜間の常駐ヘルパーを派遣します」と申し出、すぐに区内で募集をして、現地で活動しました。活動は、仮設住宅ができ、そこに移った2004年12月まで行いました。

 

 次週に続きます。

担当

丸岡 美貴(法政大学)

丸岡 美貴(法政大学)

アーカイブ