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第81回 世田谷ボランティアセンターの高橋 祐孝さんに聞く①~世田谷ボランティアセンターができるまで~

 社会福祉法人世田谷ボランティア協会の高橋 祐孝さんからお話を伺いました。内容は世田谷ボランティアセンターができた経緯についてです。聞き手は「まるちゃん」こと丸岡 美貴でとIVUSA事務局員の伊藤 章です。なお、高橋さんのお話は次週にも続きます。

 ボランティアセンターは、日本全国どこにでもある組織です。それを運営している組織が「社会福祉協議会」というものになります。各自治体にボランティアセンターを置くことは、法律で指定されています。

 世田谷ボランティアセンターはできて33年になります。法律ができる前からありました。世田谷区にも社会福祉協議会はありますが、それとは別にボランティアセンターを運営している状況です。

インタビューに答えてくださる高橋さん(世田谷ボランティアセンターの和室で)
インタビューに答えてくださる高橋さん(世田谷ボランティアセンターの和室で)

 なぜそうなったかというと、世田谷区には戦前から、障害のある子どもたちが通う学校がありました。できた当初は、世田谷区にあったわけではないのですけど。戦争中は学校自体が疎開をしていました。戦争が終わり、世田谷区の梅が丘というところに、光明特別支援学校(現)をスタートさせたのです。障害のある子どもの保護者が「自分の子どもに教育を受けさせたい」ということで集まりました。

 今の特別支援学校ならば、少し離れたところでもバスで通うことができます。その頃はバスがありません。光明特別支援学校に通うために、障害のある子どものいる家族が、外部から世田谷区に移り住んできたということが起きたんですね。光明特別支援学校は、初めてできた障害のある子どもたちのための学校でした。

 それまでは、障害のある子どもたちはどうしていたかというと、家の中に閉じこもっていました。街の中で車いすの子どもたちを見るようなことはおそらくなかったのです。僕が子どもの頃でもなかったですから。僕はだいぶ昔に施設の職員をやっていました。利用者で70代以上の方は「教育を受けずに育った。家の中にずっといて、外に出られる社会ではなかった」と言っていました。

 そういう時代に「子どもに教育を」という、一般の家族と意識の少し違う家族が移り住んでくると、障害のある人たちが街の中に出てくるわけです。僕が初めて障害のある人と街の中で出会ったとき、怖さを感じました。たとえば「奇声を発する」「よだれが流れる」はじめて見たらやっぱり怖いのです。でも、そこの地域で生活すると、しょっちゅうそういう人に出会うわけです。とくにお店をやっているような人たちは、お客さんとして出会う回数が多くなります。何が起きるかというと、お客さんとして通ってくるうちに「うわ!障害者!」ではなくて「丸岡さん」「伊藤さん」などという「個人」として見るようになってくるわけです。

 よく話を聞くと、すごくきつい言語障害がありますが、言語障害の人の話し方は、そのうち聞き手の耳が慣れていきます。するとコミュニケーションがとれるようになっていき、その人を見る角度や視点が変わります。「あ!丸岡さん、伊藤くんが来た!でもその車いすだとうちの店の中入れないな」なんとかするでしょ。

 すると今度は、自分の店だけじゃなくて外にも目がいく。そういう人が少しずつ出てきました。一人じゃ難しいから「そう思う?じゃあ一緒になんとかしようよ」とグループができていく。グループがあちこちにできると、ネットワークができていきます。今は普通にこのようなネットワークはありますが、世田谷区にはこれほど昔から存在しました。それらを支援するために、世田谷ボランティアセンターはできたのです。


担当

丸岡 美貴(法政大学)

丸岡 美貴(法政大学)

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