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第32回 福島県葛尾村での活動

 先週に引き続き、今週もライターの眞鍋 じゅん子さんにお話を伺ってきました。4週にわたってお送りしているインタビューは今週で最終回となります。収録は4月上旬、東京都・台東区谷中墓地で眞鍋じゅん子さんと丸岡 美貴との対談形式で収録したものです。

丸岡:
先週に引き続き、ライターの眞鍋 じゅん子さんにインタビューをしました。今回は東京の日暮里のお寺が見える所にいます。ではよろしくお願いします。
真鍋:
よろしくお願いします。
丸岡:
眞鍋さんは福島県の葛尾村に以前取材に行ったことがあるとお伺いしました。
真鍋:
私の夫はカメラマンなんですけども、2人で日本中の村を歩き回っていた時期がありました。
丸岡:
素敵ですねー!
真鍋:
20年ぐらい前なんですけど、北海道から沖縄までの過疎の村や小さい村を回って歩いているひとつに福島県の葛尾村という村がありました。他の所を回っていて一番生活で驚いたところは昔の生活を当たり前のように生活していたところです。
丸岡:
具体的にはどういうところですか?
真鍋:
たとえば牛や馬を飼って生活しているのもそうですが、炭焼き釜がたくさんありました。20年前に田舎に行ってもほとんどなく、村おこしなどでしか聞かなかったのですが、各家々にあったんですよね。それでなんで炭焼き釜を使っているのかを聞いてみたところ、炭燃料ということで、炭焼きとは山から切ってきた木を使って炭にして、自分の家で使ったり、燃料として販売したりしています。本当に昔ながらの生活をしていました。
丸岡:
ガスコンロとかはなかったのですか?
真鍋:
ガスコンロはありましたので、今の生活をしながら、昔の生活が普通に営まれているということです。一番唖然としたのは、牛などの糞を枯葉と一緒に混ぜて堆肥にして、昔の知恵を上手に使って生きている村です。
 村の人にすごいですねと話したところ、この生活は私たちの代までですよ、若い世代は原発に仕事に行っているよ。と言われました。葛尾村は原発から車で毎日通勤できる距離にあり、今回問題だったんですよね。心配になって連絡をしてみたら連絡がつかなかったんですよね。あとから調べてみたら、原発事故から2日、3日で全村避難していました。
丸岡:
勘でわかるんですね?
真鍋:
直接働いている人から役場に働きかけすぐに避難していました。葛尾村を通った時に誰もいないと思って役場に行っても、残っている人は警備をする人だけなんですよね。昼間は行っても大丈夫なんですが、夜は帰らないという背景もあります。またはたして10年後に元に戻っても今まで通りできるかわからないと泣いていた方もいました。
 またすごいのが、葛尾村を避難で出てもすぐに次の場所で普通に畑作や、商店経営など営んでいたのであれは衝撃でした。避難は行政ごとにやっているんだなということを強く感じることができました。
丸岡:
町長さんの方針で大きく変わってしまうんですね。
真鍋:
そういうことと、国の方針とかいろいろありますが、風景が変わるところに驚きました。
丸岡:
私も福島に行ったことがありませんでしたが、この話を聞いて実際に行ってみようと思いました。眞鍋さん4週にわたってありがとうございました。
真鍋:
こちらこそありがとうございました。

担当

吉田 龍平(東洋大学)(写真左)

吉田 龍平(東洋大学)(写真左)