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レポート部

第42回 臨時災害放送局 南相馬ひばりエフエムの今野 聡さんに聞く

宮本:
臨時災害放送局 南相馬ひばりエフエムの概要を教えてください。
今野さん:
東日本大震災を受けて、南相馬市が開局した臨時災害放送局です。この開局にあたって15年ほど前に商店街活性化の実験事業として、市内の商店街振興組合がFM局を短期間ですが開局していました。その市内の商店街振興組合がノウハウを活かすことでスムーズに開局し、2011年4月16日から放送開始しました。
 スタッフは経験の無い市民が、呼びかけによりボランティアで集って現在は、緊急雇用されています。
宮本:
南相馬市の状況はいかがですか?

臨時災害放送局 南相馬ひばりエフエム チーフ 今野 聡さん
臨時災害放送局 南相馬ひばりエフエム
チーフ 今野 聡さん

今野さん:
震災から2年経った訳ですが、南相馬市というのは元々、南相馬市はもともと3つの町と市に分かれていました。
 南から小高町、原町市、鹿島町、3つの市と町が7年ほど前に合併をしました。いわゆる平成の大合併というもので生まれました。
 太平洋沿いに面する市で、海あり山あり平地ありの自然豊かな町です。
 冬は雪もそれほど降らず、過ごしやすい地域、海の幸・山の幸・お米などの食材も豊かな大変住みやすい地です。
 合併後あまり時間が経っておらず「南相馬市」という意識がそれぞれの区民にしっかり根付いていない中での震災でした。
 原発からの距離は20キロ~40キロで、おおよそ10キロごとに区の境目(20キロ圏内、30キロ圏内、30キロ圏外)になってしまったため、その距離によって医療費無料や東電の賠償などに差があり、市民の中でも不平不満やそれにともなう摩擦など起きていることを感じることもあります。
 被害の区域分けを同心円で区切った時、たまたま区で別れてしまいました。それに伴って、合併しない方が良かったのではないかという意見も出てきました。
宮本:
南相馬市よりさらに原発に近い浪江区などの区域の状況を教えてください。
今野さん:
南相馬の20キロ圏内は2012年4月に区域見直しにより、自由に立ち入れるようになりましたが、寝泊まり・居住はまだ出来ません。
 さらに隣の浪江町も今年(13年)4月1日に区域見直しで一部が自由に入れるようになりましたが、もちろん居住はできません。
 福島県では双葉町で2013年5月28日に見直しが終わったことで「警戒区域」という地区はすべて無くなりましたが、もちろん住めない場所、立ち入れない場所はいまだ存在します。それは居住制限区域や長期帰還困難区域という名前に変わっています。実質のところまだまだ災害は続いています。
宮本:
立ち入り禁止は発災当時の状態なのですか?
今野さん:
はい。南相馬市の小高区が解除された時もそうでしたが、4月に浪江区も入れるようになり、解除されて間もない場所は解除・見直しがされるまでガレキや崩壊した建物の処理など放置されたままです。
 住民からしても取材側からしても「自由に入れるようになった」と喜んで入っても「ほったらかしにされてしまった」「時が止まっている」という悔しい思いをするほうが大きいと思います。そういう中で住民は、復興の遅れを強く意識してしまいます。
宮本:
2年経った今でも時が止まった状態の地域があることにとても驚きました。
今野さん:
これはみなさんびっくりされると思います。例えば浪江町では海の沿岸部の方に行くと、津波で流された船や家がそのままの形で残って、更にその上に雑草が生い茂っている状態で、世界のどこに行っても見ることができない景色が広がっているので、みなさんショックを受けると思います。

 来週も引き続きお話をお伺いします。

担当

宮本 将司(法政大学)

宮本 将司(法政大学)