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第17回 1995年1月17日 阪神淡路大震災 ?発生から18年を迎えました。?

第17回 1995年1月17日 阪神淡路大震災 ?発生から18年を迎えました。?

 今週、来週は、IVUSA危機対応研究所の所長である宮崎 猛志さんからのお話をお送りします。
 現在は、主に災害救援の現場にいくわたしたち学生をバックアップしてくださる宮崎さんは、とても心強い存在で、「宮さん」という愛称でも親しまれています。
 宮さんは阪神淡路大震災のとき、IVUSAに所属する22歳くらいの大学生で、現地でのボランティアに参加されていました。

阪神淡路大震災の現場で何をなさったのですか?
 IVUSAでは、神戸市内の3つの区、長田区、中央区、灘区の避難所になっているところに、4、5名の隊員を常駐させていました。昼には避難所の周辺などで「御用聞き」をしていました。必要な物資を1人1人の住民から聞き込んでいたんですね。避難所の運営のお手伝いもしましたよ。
 神戸市のお隣の三木市にある、兵庫県の救援物資の備蓄基地に入って、全国から来る物資の仕分け作業を行いました。夜には仕分けしたものを避難所に発送していました。昼間は車の渋滞がすごいんです。東日本大震災のときにも発行された「緊急車両」というステッカーをつけている車しか入れないはずなのですが、それをつけている車だけで渋滞になるくらいの状態でした。

第17回 1995年1月17日 阪神淡路大震災 ?発生から18年を迎えました。?

22歳くらいの大学生だった当時、現場で何を感じていましたか?
 阪神淡路大震災は、まさに「現地の生の情報がテレビの画面でずっと流れている」災害でした。テレビの画面が伝える情報の衝撃はすごかったです。
 実際に現地に行って、兵庫県の東灘の辺りで倒れている阪神高速道路や、焼け野原になってしまった長田区の商店街などを見たときの衝撃は言葉では表せないものでした。カメラを持ってきている学生もいたんですけど、シャッターを押す人はまずいませんでした。シャッターを押せないんですよね。ですから、最初に行ったときの隊の写真はほとんど残っていないんです。
救援活動に行ったときの失敗談
 「寒さをナメてた」と思います。思っていた以上に寒かった記憶がありますね。
 あと、ボディシートやアルコール消毒液を持って行けばよかったと思います。ベースキャンプにしていたのは三木市で、水は出ていましたが、基本的に電気、ガス、水道が止まっている状態で、全然お風呂に入れませんでした。ですから、朝みんなで濡れタオルで乾布摩擦をしていました。持っていれば体や顔を拭いたりできたのに、と思います。

 IVUSAが始めの頃から学生たちに教えているのは、とにかく住民のみなさんと「一学生と一住民の関係になろうよ」ということです。ただの救援者側と助けられる側ではなくて。大上段に「ボランティア」といっても、学生がやれることはたかが知れています。ですから「何かをしてあげよう」というよりは、「ほんとにちょっとしたお手伝いができればいいな」「逆にこちらが何かやらせてください」というノリで私はボランティアをやっていました。そういう意味で言えば「若者のお節介」という感じのアプローチでしたから、本当はもしかしたらかなり迷惑をかけてしまったんじゃないかと思います。
 でも「若い人がやってくれている」と思ったら向こうの方は大概のことは許してくれましたね。

 次週は、阪神淡路大震災での現地ボランティアの体験が、その後の宮崎さんの考え方にどのような影響を与えたのか、ということについてお話を伺います。

担当

丸岡 美貴(法政大学)

丸岡 美貴(法政大学)