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第99回  東日本大震災時の刑務所

「ともきよ」こと法政大学の友清渉が今回の情報部のメインパーソナリティを務めさせていただきます。聞き手は「まさし」こと国士舘大学の石井将と、「ぼのぼの」こと法政大学の松浦奈々です。
突然ですけどまさしさんに質問なんですが、警察にお世話になったことってあります?

 

まさし:
殴るぞ(笑)

ともきよ:
今回は東日本大震災時に刑務所のような施設はどんな状況になっていたのかが気になって、色々と調べてみました。宮城県仙台市の若林区にある荒浜海岸から5kmほど離れたところに宮城刑務所や仙台拘置支所という施設があります。

まさし:
海から近いね。

ともきよ:
2011年4月8日号の週刊ポストの記事にあったんですが、その刑務所の庶務課の方へのインタビュー曰く、当時は周辺の建物に比べると津波によって施設の損害はほとんどありませんでした。そのため受刑者が逃亡し社会に不安を与えたというようなことはありませんでした。

まさし:
建物が強固だったから?

ともきよ:
受刑者の逃亡を防ぐための施設であったため、施設の損害を防ぐことが出来たようです。もっとも一部の部屋は使えなくなったり、壁にひびが入ってしまったようですが。

ぼのぼの:
負傷者はそんなにいなかったの?

ともきよ:
刑務所内での負傷者はこれといっていなかったようです。そして、ここからが調べていくうえで非常に考えさせられたことなんですが、震災当時受刑者の人たちがどんな生活をしていたかというと、彼らは災害以前と生活が変わらなかったんです。

まさし:
国が管理してるからね。

ともきよ:
施設が倒壊しなかったこと、そして法務省の規定で受刑者への食事が決まっていて1日1,700キロカロリーくらいまでの食事がメニューとして義務付けられていました。
刑務所内部にもコメなどの食事の備蓄がしっかり備わっていて、暖房設備も整っていたようです。一方、刑務所で働いていた刑務官の方々は、余震の警戒もあってか震災が起きた次の日から休みなしで働いていたようです。

まさし:
災害に乗じて悪い人が逃亡してしまうこともあり得るからね。

ともきよ:
そういったリスクを防ぐために休みなしで働いていました。
食事に関してですが、備蓄がいっぱいそろっているから、周辺地域の大変な目に合っていた方々に食事を配ってもいいんじゃないかと思ったんですが、受刑者用の食事は他者が手を付けてはいけないんですね。

ぼのぼの:
じゃあ周りにも配れないんだ。

ともきよ:
だからもう震災が起こった当初は、大変な時期であるにも関わらず、法で決まっているから受刑者は食事を摂れる一方で周辺地域の方々や刑務官たちと備蓄品を共有することができない状況でした。ただ、さすがにそれだとまずいので法務省が法を修正したようです。
しかし悪い話ばかりではなく、受刑者2,800人近くが震災後に一か月かけて1,156万円の義援金を集めて被災地に送ったそうです。
自分たちの知らない世界で本当にいろんなやり取りがあったと思うと、今後もたとえ触れづらい世界であっても震災について調べる防災ラジオならば目を向けてみる必要があると思いました。

まさし:
これはまったくない観点だよね。

ともきよ:
話の着地点が難しいテーマでしたが、刑務所に限らず震災時にどこでどんなことが起こっていたのかを調べてみてほしいと思いました。

担当

友清 渉(法政大学)

友清 渉(法政大学)

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