今回は浅草ロケを行ったということで浅草の町をぶらりと歩きながら、浅草の歴史、防災について勉強してきました!歩いてきたルートは




と、浅草をぶらりと歩きながら勉強しました!そして浅草の町は1923年9月1日午前11時58分に起きた関東大震災の被災地でもあります。関東大震災はマグニチュード7.9で東京だけではなく、神奈川、千葉、茨木、静岡県東部までにも大きな被害をもたらしました。
そして地震だけではなく、お昼時の時間帯に発生したため火災も大きな被害の原因の一つでもあります。浅草駅前大通りには、松屋デパートさん・神谷バーさんが震災前よりずっと前から建っていて、震災後に日本は太平洋戦争へと突入し、1945年3月10日の東京大空襲で東京が一面焼け野原になってしまいましたが、この松屋デパートさん、神谷バーさんはなんとか焼け残りました。
神谷バーの建物の表記には「ーバ谷神」と表記された看板が残っており昔から神谷バーの建物が建ち続けているという証と言えますね。
関東大震災からなんとか復興したと思いきやさらに日本は戦争で焼け野原になり、二度も大きな打撃を受けました。しかしそれでもあきらめずに東京、浅草は復興へと向かっていきました。神谷バーさん、松屋デパートさんの建物は、そんな再び立ち上がる日本人、東京を見つめ続けてきたのだと思います。ちなみにお昼ご飯に僕たちは神谷バーさんにて洋食を食べてきました!
次に僕たちが向かったのは陵雲閣跡地にやってきました!
陵雲鶴は関東大震災で崩れてしまって、元々は浅草の象徴といえる建物でした。全長が約52メートルで当時のできたばかりの頃(1890年代)は東京の町にもそこまでの高さの建物は無く、人々は高いところから景色を見たいという理由でたくさんの人が訪れました。
明治23年(1890年)に完成しフランスはパリのエッフェル塔を再現した建物だそうです。展望台からは隅田川、お台場、品川と東京の町を一望でき風光明媚だったそうです。
現在では記念碑がたてられていて、周りには高い建物が並んでいます。
こうしてみると、関東大震災から復興したのがよくわかります。
関東大震災や太平洋戦争で大きな影響を受けた浅草ですが、何度でも復興の道を歩んできました。それは東北でも同じことが言える事だと私たちは思います。みなさんも実際に浅草の町を歩いてみて関東大震災から復興した浅草というテーマで浅草を歩いてみるのもおすすめです!
みなさんも是非、浅草へ来てみてはいかがでしょうか?